山形

【鶴岡】幕末好きなら一回は行きたい東北唯一の藩校 致道館

戊辰戦争に大きく影響を及ぼした庄内藩の学校にいこう

庄内藩9 代忠徳(ただあり)が風土の荒れていた庄内を立て直すために1805年に建てた藩校。
明治に廃校となる70年の間に、荻生徂徠(おぎゅうそらい)の徂徠学を採用し、
優秀な人材の輩出に努めていました。

この致道館、現在では珍しい現存物がみられたり、歴史的な部屋に立ち入れたりと、
歴史好きなら長時間潰れてしまうほど内容が濃い穴場スポットです☺︎

もくじ

  • 行き方と基本情報
  • 見どころと藩校案内
  • 戊辰戦争についてちょっとだけシンプル解説

鶴岡駅からの行き方

鶴岡は観光スポットが集中していてとても観光がしやすい街。
致道館も、鶴岡神社や他の観光スポットと隣接したアクセスの良い場所にあります。

致道館基本情報

入館料無料

アクセス
鶴岡駅より徒歩30分/または/バスあり

観光所要時間
じっくり派 60分
さっくり派 20分

開館時間
9時00分から16時30分

休館日
毎週水曜日

国指定史跡 庄内藩校 致道館

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入り口

立派なお屋敷の門をくぐり、江戸時代当時の風土を感じ取ることができます。

 

致道館入口の門を潜った時の写真

 

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祭器

儒学の祖である孔子を祀るお祭りの際に使用された祭器。
藩校開校当時の現存が保管されているのは、国内でも大変珍しいとのこと。

藩校が開校した頃からある祭器

 

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実際に使われていた教科書


展示物の中には、当時の学生が実際に使用していた教科書やノートがあります。
致道館の教育(徂徠学)では天性重視・個性伸長。
個人の個性を尊重し、知識を詰め込むのではなく、自ら考えて学ぶ意識を高めるという教育スタイルでした。

実際に使われていた教科書

 

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御入間


藩主が使った御入間(おいりのま)は、庄内藩が戊辰戦争の降伏を認めた際に使用された部屋です。

戊辰戦争について簡単に

戊辰戦争は、大政奉還後の新政府軍と旧幕府軍との戦い。
大政奉還して幕府を廃止することに成功したにも関わらず、
最後の将軍である将軍慶喜が、未だに強い権力を持っていたため起こった戦いです。

新政府軍は主に、薩摩藩、長州藩、土佐藩。
旧幕府軍は、旧幕府勢力と東北エリアの藩。

薩摩藩が江戸市内に放火など悪さをしていた時に、
江戸の警察のような役割を担っていた庄内藩にも攻撃をしました。
それに怒った庄内藩が、薩摩藩邸を焼き討ちしたのがこの戊辰戦争の始まりです。

庄内藩が黒田清隆に戊辰戦争の降伏を認めた部屋

連戦連勝の庄内藩だったのですが、
同じく東北エリアの藩たちが次々に新政府軍に降伏し、
庄内藩の孤立化が始まっていきます。

庄内藩の領地を侵される前に降伏を決意。その際に、新政府軍の黒田清隆が訪れたのがここ御入間でした。

降伏後の刑罰は

庄内藩の処罰を担当したのが因縁の薩摩藩。
庄内藩は相当厳しい刑罰を覚悟したのですが、少しの領地の没収ほどで済みました。

 

この対応に感動した庄内藩は、この決断をした薩摩藩の西郷隆盛に深い敬意を示し、
後に南洲神社という西郷隆盛を祀る神社をここ、山形県に建てたほどです。

南洲神社では、西郷隆盛の教えを丁寧にまとめた文書を無料で手に入れることができます。

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裏庭

当時の藩校跡の写真

 

現在は、災害などにより縮小されてしまった敷地面積ですが、当時は武術稽古所や馬場、寄宿宿なども併設されていました。
裏庭には、その一つ一つの敷地跡に石碑が置かれており、当時の間取りを見ることができます。

まとめ

幕末の歴史が詰まったここ致道館。
当時の現物が珍しくも数多く残るとても貴重な建造物です。

歴史好きはMUST行きたいところ。タイムスリップした感動をぜひ味わってみてください☺︎

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