広島城に関わる歴史をかんたん解説

広島城に関わる歴史をかんたん解説

広島城に行ってみたけど

どの解説も難しい言葉と漢字攻めで
何を言ってるのか
わーからーーーん!!!

ということで、ヒーヒー言いながら調べた
調査結果を
かんたんに共有します。
少しでも私と同じような人の
広島城知識が博識となりますように...☺

まとめるとこんな感じ

築年数 450年ほど
→毛利輝元により造られたお城
理由 お引っ越しのため
→力が強くなって旧居が狭くなったので
広さ 90万㎡
→ディズニーランド2個弱くらいの広さ
別名 鯉城(りじょう)

築城までをちょこっと説明

作った人のおじいちゃん=毛利元就

戦国時代の大名
広島県西部あたりの小っちゃな地方豪族だった毛利家を
一気に中国地方全体の大大名へと発展させた
毛利元就(もとなり)

この人の大出世により旧居が手狭になり
毛利家が広島城に引っ越しをするきっかけに

そんな元就の次の毛利家当主が
孫の輝元=広島城をつくった人!

なぜ孫を跡継ぎに?

A. 次ぐ人が孫しかいなかったから。

元就(もとなり)は3人の息子に恵まれましたが

  • 長男→早死(輝元のパパ)
  • 次男→婿養子へ
  • 三男→婿養子へ

ということで孫の輝元が毛利家の当主となり
手狭になった今までのお城から引っ越すために
広島城を築城

例えるなら
町工場が大企業へと変身したので
新しいオフィスを新築した
というかんじ

けれども、関ヶ原の戦い
西軍(石田三成側)の総大将を務めたので
敗戦後は広島城から追い出されてしまいました

関ヶ原の戦いの内容、覚えてる?

秀吉亡き後、
徳川家康と石田三成が政権争いのために起こした戦い

秀吉のことが大好きだった家臣石田三成
家康と戦うために挙兵

石田三成って…どんな人だったっけ?

石田三成は秀吉政権下、政治を担当
政治に関してはとってもキレッキレ
だけど、戦いに関してはヘタ

秀吉からはとーっても頼りにされていたけれども
周りの人とのコミュニケーション能力が低すぎたのと
人使いが荒かったりしたため嫌われ者でした。

関ヶ原の戦いの勝因

石田三成vs徳川家康の関ヶ原の戦いで
秀吉の家臣として仕えていた人達も
三成は嫌いだったので家康の味方に=家康の勝利に繋がった

その戦の際に石田三成に頼まれて
力が強かった
毛利輝元が西軍の総大将として担ぎ上げられるも
結局負けてしまったという流れ

味方が少ない中で挙兵した三成は
最初から負け戦だとうすうす分っていたけど
秀吉が好きすぎて頑張った
敗戦した時の三成の蔵の中はほとんどすっからかん
自らの財産全てをかけて秀吉のために戦っていた

と聞くと「いい奴かっ!」と思えて少しほろっとしてしまう心温まるストーリーでした。

毛利輝元の次は

関ヶ原の戦いで負けた西運総大将
毛利輝元が広島城から退いた後
福島正則(まさのり)が広島城に入城

しかし、災害で弱った広島城を修繕工事した際に
江戸幕府に申し立てをしていなかったと指摘をされて
広島城を追い出されてしまいました。
→秀吉派だった家臣を排除していく家康の思惑だったとか

*福島正則は元々は秀吉の天下取りを支えた
戦が得意なキレッキレの家臣でしたが
石田三成が嫌いだったので
関ヶ原の戦いの時に家康に見方をしていたうちの一人

家康勝利→毛利輝元が広島城追放→福島正則、褒美で広島の土地を与えられる→広島城入城→修繕工事イチャモン→すぐに追い出される

その後に入城したのが初代藩主となった 浅野長晟(ながあきら)
元々はこの人も秀吉に仕えていた家臣
しかし、家康の三女「振姫」と結婚をしていたので
福島正則に代わり、広島を治めることになりました。

毛利輝元 :おじいちゃんから引き継いだ力で広島城を建設
→福山正則:三成より家康に見方をして広島を与えられる
→浅野長晟:家康三女と結婚していたので広島を治めることに

広島城についてちょこっと説明

広島城はレプリカ

広島城の外堀内には、
お殿様が生活をする居住空間はもちろんのこと
政治を行う部屋や、馬を飼う場所
さらに乗馬を練習するスペースまで整備されていて
広島に行ったら絶対利用するであろう「広島バスセンター」辺りまで
当時はお城だったそう!

しかし、保存され続けてきた「広島城」は原爆で崩れ落ち
現在ある「広島城」は1958年に外観のみ復元されたもの

復元されたものは内堀の内側=本丸・二の丸・天守閣

その為、現在の広さは約12万㎡ですが
外堀まで含めた江戸時代当時の城の広さは90万㎡も。

現在の広島城内は展示室になっていて
広島の歴史や
町人たちの暮らしなどを学べる施設になっています。

西日本の中でも広すぎるお城

90万㎡?
ハテ…?

西日本屈指の大所帯であった広島城
強いて言うなら、ディズニーランド2個弱の大きさ!
巨大複合施設もいいところ!

広島城正門の写真
▲正門
二の丸の写真
▲外へ出撃する際の拠点:二の丸

別名:鯉城(りじょう)

ずーっと昔の皇后様が訪れたときに鯉を献上したら相当喜んだ♡
ということで鯉城と呼ばれはじめたとか

1年ごとに地元と江戸を行き来する参勤交代用に
幕府は江戸の土地を与えていました。

浅野家は、東京・霞ヶ関の総務省あたりに住んでいたらしい!

▲廣島護國神社(ひろしまごこくじんじゃ)

広島城敷地内にある 廣島護國神社(ひろしまごこくじんじゃ)
明治維新の戊辰戦争~戦没者を多く奉っています

本殿近くには鯉像が↓

▲双鯉(そうり)の像

二匹の鯉が共にいることより、家内安全・恋愛成就・夫婦円満に◎

▲昇鯉(しょうり)の像

滝を登る鯉は縁起物とされていることより
目標達成や勝負事への願掛けに◎

ワタクシ実は鯉がニガテ
「願いを込めて鯉を撫でて、あやかってください。」
とご丁寧に書いてあったから、撫でるけど…

ミテミテこのリアルさ、ウロコさ

口が開いてて目が合っちゃうところがなんともいえない

なんて無礼者なんだろう自分
と散々思ってから一礼して撫でまくる

戦争の証

▲中国軍管区司令部防空作戦室後

廣島護國神社すぐ横に見ることが出来る防空作戦室
広島は港や山陽新幹線の開通により
軍事物資の運送が効率的だったので
軍事施設として活用されるように

ここでは軍人に混ざり
多くの女学生も働いていました。
原爆で壊滅的になった広島の状況を伝えた第一報が
奇跡的に残った
ここの電話を通じて女学生より報告されました。

カープについてちょっと

カープ女子♡と叫ばれるほど
広島は赤一色のカープ!
ちなみにカープの由来は英語(carp)で鯉という意味から。

そしてカープは原爆被害から立ち直ろうよ!
という想いが込められて
(MAZDAとの関係が深いものの)
特定の親会社を持たない市民球団として発足しました。

さいごに

いろいろな性格、いろいろな私情に挟まれた歴史上の人物たち。

「歴史上」と呼ばれている彼らは
紙面上でイキイキと描写され
スーパースター的な輝きを放っていますよね。

想像を超えるような時代を生きていた彼らですが
その当時は私たちと同じく生きている人間でした。

常に先を見据え、周囲との調整に奮闘し
生きるか死ぬかの決断を常日頃より下していたのかと想像をすると
今の日本は本当に平和になったな~
と平和ボケを通り越して
脳内が液状化していることに気がつきます。

平和に恵まれている時代を過ごしているからこそ
視野を広げ
向上心を燃やし続ける努力をしようと思いました。

まとめ

スター選手もファンも多い戦国時代で
実際にトップスター武将たちと
直接顔を合わせて
生き延びる知恵を磨き続けていた
戦国武将たちにより
広島の歴史は築かれ
広島城の築城へと繋がっていきました。

今でこそ「平和」というキーワードがよく似合う広島ですが
利便の良さから軍事的拠点へと確立していった背景があります。

戦後、その被害から立ち直ろうと市民が声を届けたのが「広島城復元」でした。