上杉鷹山と直江兼続について3秒かんたん解説
その土地の歴史上の人物を少し知っておくと、さらなる理解が深まります。
何も知らないで行くよりも、一人旅中の楽しさも倍増します☺︎
こんな方におすすめ
- 米沢の歴史上の人物をさっくり学びたい方。
- 米沢の成り立ちをかんたんに理解したい方。
上杉鷹山(うえすぎようざん)
J.F.ケネディからもリスペクトされる、9代目米沢藩主
米沢藩がとても栄えていた頃とは相反して、
日本一貧しくなっていた頃の藩主。
藩の財政状況を改善するために、
一汁一菜の食事を生涯続け、米沢藩の立て直しのために全てを尽くしました。
米沢を代表する伝統文化米沢織や笹野一刀彫は、
藩の収入を増やすために上杉鷹山が進めた施策の一つです。
素晴らしいリーダーとして評されている上杉鷹山が残した名言の一つが、
「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり」
直江兼続
上杉謙信の息子初代米沢藩主 上杉景勝の右腕として、米沢藩に生涯忠誠を貫いた家老。
主君である上杉景勝が寡黙な人物であるのに対して、
直江兼続は口が達者でコミュニケーション能力が高く、2人の息はぴったりでした。
上杉景勝は直江兼続の支えもあり、豊臣秀吉の五大老の一人にまで出世します。
しかし秀吉亡き後、同じ五大老の一人だった家康が、
次の天下人の地位を確実のものとしていきます。
その頃、家康が自分との関係が悪くなっていた米沢藩にイチャモンをつけました。
その際に、持ち前のコミュニケーション能力と米沢藩のプライドにかけて直江兼続が、
強気な返事をした手紙が直江状と呼ばれる有名な書です。